2013年06月10日

弟の死

2010、4月25~りんご売りの少女~過去記事「弟の死」より

弟の死弟の死弟の死弟の死
 
 皆様こんにちわ。松木武久農園のうさぎです。 昨日は、朝9時~12時まで、ずくなしカフェの2階をお借りして、仕事の打ち合わせ後に、海羽根店舗に寄り、まぐさんと今後、お願いする仕事の話し、近況話などを、海羽根さん・海羽根さんのご友人を交えて、ぺちゃくちゃタイム。5月15日のD&マーケットの~ぺちゃくちゃナイト~には、海羽根さん達も出演すると!!

 腰の痛みを、軽減してもらって・・・

「海羽根さん~ごめんなさい! うさぎ、もぅ酒も煙草も止めるから、ケツを強く揉むのは~そこまで! ぅう~。。。。」

って、しっかり施術してもらいました。以前もイベントで揉んでもらって、お尻もまれると、死ぬほど痛かったので、

 「どうしてケツ揉まれると、死ぬほど痛いの?うさぎはどこが悪いんでしょうか?」と伺うと・・・

「腰だよ~。」と言われております。むぅ。普段の生活、姿勢から直す必要があるな。
*海羽根ブログ  http://umihane.naganoblog.jp/
☆未来の食卓HP→   http://www.uplink.co.jp/shokutaku/introduction.php</span>

(未来の食卓を観て・・・)

 この世は地獄です。いつもそんな気がしていたけど、やはりわたし達は、この地獄をどう生き抜いて、どうにかして天国にしていく為に生きているのです。うさぎは、こども達が

「たくさんの食品添加物や、防腐剤、国連でも危険性が認められている食品」

を食べて、または、農薬をヘリコプターや、SS(スピードスプレッサー)から撒く果樹農家の近くで育ち、「白血病」等を発病する様をみて、本当に辛くなりました。武久君も農薬の調合を長年続けてきました。農家では、農薬の調合は男の仕事と決まっています。それは、フランスでも、長野でも同じなのです。 
 
 なぜだか分かりますか? 農薬の危険性を農家が、一番理解しているからです。

武久君は大腸癌になりました。冬場に手術をして、良性だと分かりましたが、原因は分かりません。 
うさぎママは、「ニコチン」という農薬をまく度に、「頭痛」と「吐き気」で苦しそうでした。そうした姿は、こどものうさぎには日常でした。農家は自分の身を危険に晒して、体を泣かせて仕事を家族総出でしないと、家族5人が食べていけないもの。そう信じて疑いませんでした。現在もたいして変わりはありません。それでも、長野は恵まれていました。東北のりんご農家は、冬場は出稼ぎに出ないと、農業を続けられませんでした。最近の農業新聞をみても、現状は酷くなるばかりのようです。

いったいいつまで、こんな暮らしを農家は続けなければならないのでしょうか? そして、「農業」という一生をかけた仕事になんの誇りも持てずに、こどもに 「自分の職業を継がせるのは可愛そう」 そう思い続ける親世代・・・。



 うさぎには、4つ下に弟がいるはずでした。うさぎママは11ヶ月になっても、20キロのりんご箱を運んでいました。弟の生まれ日は10月25日です。農繁期の最中です。結局、夜半にお腹が痛くなって、日赤に運ばれた時は、弟はお腹の中で死んでいました。うさぎママも親戚中、そのまた友人中から輸血して戴き、無菌室に入院して、一命を取り留めました。二度と子どもの産めない身体になりました。 

 うさぎは2歳からの記憶があるので、当時の事は非常によく覚えています。 クリスマスに靴下に入ったお菓子と共に、うさぎママが帰ってきたけど、うさぎママも、武久君もとっても暗かったのを覚えています。その後の親族会議、離婚するかどうか? 木の箱に入った赤ちゃん・・・うさぎは弟の顔を一生忘れることがないと思います。鯉のぼりが上がるのを家族中で、とっても楽しみにしてました。

 祖父が亡くなる前に、うさぎママに言ったそうです。

「あの子は可愛そうなことをした。お前にも悪かった・・・。」

 それを聞いて、うさぎママは何もかも許す気になったそうです。 うさぎはこどもの頃は武久君を凄く恨んでました。うさぎママがこどもを生めなくなったのも、弟が死んだのも、武久君が悪いと思ってました。でも、今は分かります。若い武久君はこの家を背負って、お金を稼いで、家族を養っていく為に必死だったのです。だから、うさぎママが辛いのも、ある程度は知っていたけど、どうする事も出来なかった部分もあるんだと思います。うさぎは大人になって、うさぎママから聴きました。

 「あんたが生まれた日にお父さんは、病院にお花を持って、真っ白いスーツで来てくれた。あんたが生まれるまで5年かかって、お母さんが流産ばかりしてたから、とっても喜んでくれたんだよ。 露英ちゃんが死んだ時だって、お父さんだって凄く哀しんで泣いてた。」

 その話を聴くまで、わたしはずっと「農家に女として産まれてしまった事」を悔やんでいました。両親や祖父母が可愛がってくれれば、くれる程
「家の為に、わたしではなく、弟が助かった方が良かったのでは?」
父とケンカする度に「ほんとうはお父さんだって男の子が欲しかった筈・・・」
 「わたしを遊びに連れていってくれないのは、わたしが女の子だから可愛くないんじゃないか?」
そう思い続けていました。今は、そんなコトはなく
「両親にとって弟の死は悔やんでも悔やみきれないけど、わたしの事も大切に思ってくれてる」思えるようになりましたが。

 今でも、弟がこんな時にいたら、心強いこともあっただろう・・・そう思う日があります。でも、全ては宇宙の采配です。うさぎはこの家にたった一人で生まれました。でも、いつかお姉ちゃんは頑張ったよって、会える日を楽しみにしてます。それまでは、どんな事があっても、弟が出来なかった分まで、生きられなかった分まで、どんな事でもしていきたいと思うんです。

 まぁ、実際に生きてたら、超~仲悪い兄弟だったかもしれないし、行かず後家みたいな姉を疎ましく思ったかもしれない・・・でも、武久君に似た鼻筋の通ったイケメンになっていたかもしれないなって、思います。生きていたら、今年は30歳です。

 
 「お父帰れや」

風に追われて お父が消えた
峠の向うに   にじんで消えた
山の畑は    雪の下

足んねぇ足んねぇで  でかせぎ暮らし
余りものちゅうて    お父の茶わん
主ねぇハシの    にくらしさ

せめて夢でも    お父にあいてぇ
クレヨンかかえて  せがれが泣いた
お父の顔が    かけねえよと

お父がいねぇで  夜が長すぎる
夜なべ仕事に  むしろをあもか
むしろあむより  縄をなえ

縄がなえたら   お父よもどれ
腰にゆわえて  せがれにもたそ
ことしゃどこへも  ゆかねよに

峠をそめて  朝日がのぼう
山の向うに  もう日が沈む
はかのいかねぇ  野良しごと

作詞 白井道夫  作曲 真木淑夫    唄  岡林信康

岡林信康情報   http://www.beats21.com/ar/A00121201.html

弟の死

「ぼくらのごはん」スタッフの皆様&全ての消費者の皆様へ

 うさぎは一農家の若手として、こうしたイベントを開催してくださった事に、並々ならぬ感謝をしております。これは農家として背負ってきたものの大きい人たちにこそ、観て欲しい映画です。 フランスの村で出来たことが、長野市で出来ないはずはありません。 

 そして「安全な食べ物を、入手したい。」 そう考える全ての消費者の方には、近所の農家、実家、親戚に行って、現状をぜひ、知って声をあげて、手伝ってあげて欲しいです。 農家の現状は今も、たいして変わりません。政治や官僚、お役所を待っていたら、決して、「食育」も「こども達の未来」も、「癌で苦しむ両親」も助けることは出来ません。今、たった今から、貴方ができる事を実行して欲しいのです。それは難しいことではありません。

 また、農業や食に関わる職場にいる方たちには、本当にこのままの仕事のやり方でいいのか? それを現実(この世の地獄です)に即して考えて欲しいのです。情報はある所にはあります。 いつまでも「見ないフリ、仕方ない現状」に甘んじていることが、貴方たちが生まれて、生きていく理由ではないはずです。

 午後は畑です。 浅川ダム建設は工事の方達が入って始まってきました。うさぎには、この動きを止める為に出来ることがあるのか? 昨夜の真黄色の月を眺めながら考えていました。


タグ :未来の食卓

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Posted by 松木うさぎ at 13:45 │松木武久農園について