2009年02月19日

父の日記

父の日記父の日記

父は専業農家に生まれ、地元の農業高校を出て18歳から、農業一筋です。 当時は祖父の身体が弱く、18歳にして我が家を背負って立ちました。その頃は現金が手に入らずに、東急でバイトしたり、自動車学校の指導員を冬場にしたりしながら、りんごと米つくりを続けていたそうです。その頃から、農業日誌をつけているようです。50年分はさすがにないようですが、ここ20年くらいのものは、実家の倉庫に眠っているのを発見したことがあります。

いつか、これをまとめていきたいと思ってます。

りんごと言えば、当時は青森です。青森のりんご農家に泊り込みで研修に行ったりもしたそうです。 当時の話を最近よく聞かされます。 玄関先で手や足を洗い、お客様のように手厚くもてなされたそうです。
 りんごの苗木ももらったり、剪定やりんごの栽培方法、品種のことなど、たくさん学んできたそうです。

村の青年団や消防団にも入り、村祭りをになったりと、農家の長男がこなすことを若い頃からずっと続けてきています。
どんなに深夜まで呑んできても、朝は早くから畑に向かう父の背中をみて育ちました。
 そんな父を兎は大変に尊敬しております。父は、自分が農家を継ぐことで苦しんできたので、兎には、小さい頃から農業は継がなくてもいいから、婿だけはとって松木家を守って欲しいと言い続けてきました。

母は、中野は山ノ内で農家に生まれ、農業改良普及員として、バリバリ働いておりました。 当時は、すごく仕事が楽しかったようです。当時、須坂の農技大まで出て、キャリアウーマンとして張り切って働いていたようです。 ただ、狭い世界のこと。上から押さえつけられたり、やりたい事が出来なかったり、何よりも頭でっかちで根回し下手の母は、仕事で挫折して・・・。 退職してお見合いをしていたのが、25歳の頃だそうです。そんな時に、父に出逢いました。


父は、「退職して、いき遅れてたから貰ってやった!!」 言ってますが。娘から見ると、「見合い」だけど 「うまい事、恋愛しちゃった」 感じに見えます。下仲人をしてくださった第二の母から大人になって伺うと


 「見合い」 なのに、話が弾んで、2時間も2人で喋ってた。。。らしく。

 出逢って半年で結婚したそうです。デートにもちっとも誘ってくれないと思っていたら、父は村の市会議員の選挙応援をしていたそうです。 後は、お金がなくて、夜中に自動車教習所の指導員をして、母の為に指輪や結婚費用を貯めていたそうです。 これは母から聞いた話です。父はそういう話になると、どこかに行ってしまいます。

 母は外から、張り切って変えようとしても、なかなか変わらない農業や農家に憤りを感じて、中から変えてやろうと意気込んで父の元に嫁いできたようです。 兎が母の古い書籍なんかを中学生の頃に漁っていると、当時の葉書や、母のメモなんかを良く見つけました。 しかし、村ながらの古い慣習やしがらみに縛られて、母の思うことが出来るようになったのは、ここ10年くらいです。 そのひとつが直売所です。 我が家は畑も多いので、村のおばさん達に長いこと支えられてきました。

 我が家の作業を手伝うために、自分の畑の作業を早めに終わして、たくさんの方が手伝いに来てくれていました。小さな頃は、そうしたおばさん達にもだいぶ可愛がられた記憶があります。 坂の畑で帽子が飛んでいき、下まで転げるように取りに行ったり、蜂が胸に止まって大泣きしたり・・・。
 兎にとって、りんご畑は遊び場でした。 秋場に夜の選別作業がある時は、物心つく前から独りで寝ていました。とても寂しかったのを覚えています。 そんな時に妖精さんと仲良くなりました。 今でも、小人や妖精、精霊はいると信じています。
父の日記

子供の頃から、自然の驚異、天候に左右される人間の小ささを、身に染みて感じてきました。 そして、とても恵まれた環境で育ってきました。 祖父母に可愛がられて、自然に囲まれて、ゆっくりした時間と季節の流れの中で暮らしていくことが、当たり前でした。 祖母は、兎が苺が好きだと言えば、家の前の畑に苺を植えてくれて、毎朝一緒に摘み取りに行きました。
当時のことは、兎にとっては夢のような時間です。 あの頃に食べた、苺の味に匹敵するものには、今は出逢えません。


父の日記父の日記

 小学校にはバス通学で通いました。毎朝1時間の道のりです。 両親は小さな兎がバス停まで遠い道を歩くのは、大変だろうと小道を普請してくれました。

(お陰で、道の神様に怒られて、捻挫5回して、さすがに怪しんだ両親が観て貰いに行き。毎朝、大喧嘩しながらもface07 ・・・塩とお酒まいてくれてたのを覚えてます。)

毎朝通う道すがらに、蟻んこの列や、ネズミやモグラの死骸、様々な植物に出会いました。

 学校から帰ると、母から外に遊びに行くのを禁止されてたので(怪我とかされると困るのと、子ども産めないのに、兎も死んだら困ると思っておったのであろう。) 藁葺き屋根の大きな家で祖母の後をついて廻ったり、本を読んで暮らしてました。 宿題なんかした覚えがないですが、日記だけは書いていました。

 先生達にも恵まれて、楽しい学校生活を送っていました。母はよく、庭に生えた花々を兎に持たせました。一度、花を持って廊下を歩いていたら、知らない先生にすっごく褒められて恥ずかしかったのを覚えています。 兎はバスの中でも荷物になるし、あんまり母の好意を嬉しいと思ったことはないのですが、今となれば分ります。 母は今でも花が好きなようです。

 兎は花より団子です。 そろそろお雛祭りですね♪


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Posted by 松木うさぎ at 12:49│Comments(2)自然栽培
この記事へのコメント
こんにちは。私も実家はお母さんと同じ山ノ内です。観光だけでなく、果樹栽培が盛んな地域ですね。私は非農家でしたが、まわりがりんごの木だらけの中で育ったのでりんご栽培の大変さはよーくわかりますよ。
今はもっと奥の農村に嫁いでいますが、農業って自分を信じなくちゃ出来ない職業だと思うので、反対に生きがいを感じています。
「奇跡のりんご」読みましたが、信念を持っていけば必ずいい方向へお天道様は導いてくれると思います。頑張ってくださいね。またお邪魔します♪
Posted by ノリッチ at 2009年02月25日 13:57
ノリッチさん・・・山ノ内はいいとこですよね~。子供の頃に散々行って、いい思い出がたくさんあります。最近は忙しくてなかなか行けませんが、母の実家は私の避難所ですw 確かに自分を信じるしかないところあります。

信念・・・信じて念じるんですね。「念ずれば花開く」 善光寺のお地蔵様のところにある言葉は中学生の頃から大好きです。 行動の礎に何があるかって大切なことだと思います。これからもよろしくです★
Posted by りんご売りの少女りんご売りの少女 at 2009年02月27日 22:37
 
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