2011年11月15日

はじまりは豪族?

はじまりは豪族?

 そもそも、うちはいつから 「りんご一本で食っていく」 ようになったかと申しますと、祖父の代からのようです。りんご屋としては、うさぎで3代目。 「松木家」としては、過去帳で残ってるだけで、うさぎで8代目らしいです。 村中の年貢を集めておれば食うに困らない時代もあったらしく、うちの母なんかは

「お茶番していればいいから・・・。」「お茶とお花も続けていいから。」

と言われて嫁に来たらしいです。母が嫁ぐ前は 
「材木屋さんが木を買いに来たら、売ってれば良かった」
らしいです。母は「騙された~、騙された~」とよく言っておりますがw そんな時代の事が染み付いてるのか、私が子どもの頃には 

「世が世ならお姫さまでした。」 
「長野駅まで他人の土地を踏まずに行けて、宝作さんだか、七三郎さんの時代には駅前から年貢の米俵を家まで運ぶ行列が出来た。」
「農地解放で土地が半分以下に減った・・・。」
(現在の山林所有は27町歩らしい。)つーよーな話しを、祖父とか、近所の人とか、学校の担任にまで言われておったです。

が・・・当時はすっかり、ただのりんご専業農家で、四六時中働いてる祖父母と両親しか目にしてないので・・・

「???それは江戸時代とか、大昔の話でしょ?今の家は至って貧乏みたいだけど???」

 非常に納得がいかぬまま、子ども心に、我が家の経済事情も、すっげー貧乏なんだか、すっげー金持ちなんだか?さっぱり謎なまま成長しました。(耳にする話しと、家族の切羽詰ってる日常とに、あまりに乖離があり過ぎてね・・・。他人には、「のりえちゃん家は土地持ちだから~・・・」とか、言われるけど、日々お金のやりくりとかしてる母を見るにつけ、どう考えてもお金があるようには思えなんだ。)


 そんな感じで、祖父の代に田んぼから、りんご畑を広げて、武久君が18歳で跡を継ぎまして、更にりんごをどんどん、どんどん植えました。時は経済成長期で、ニッポンも景気が良かったので、この頃はうちも稼げたようでございます。

ので、130年だか建っていた藁葺きにトタンかぶせた(トイレはぼっとんでお外でした。お風呂にはアリンコが出ました。一度、蛇が煮えてたコトもあるらしいっすicon11)家を武久君の代で新築しました。両親が、「こんな家が建てたい~!」 という家を見に行きだしたのが、うさぎが小学4年生頃・・・その後、うさぎママが図面を引き始めまして・・・・中学2年~高校2年くらいまで借り暮らしで、母屋の隣の蚕室を改装して住んでおったです。山から木を切り出すところからいったら、10年くらいはかかってるんじゃないでしょ~か?

 うさぎの高校受験とか、全く眼中になく、我が家は新築になりました。しかし、うさぎ自体はその後すぐに、大学入学で千葉に行っちゃったので、一年くらいしか新築のうちにはおりませんでした~。

 今から、思うに 「夫婦念願の家を新築」 してから、やっとこ外に目が向くようになったのではないか?と思われます。足場が固まったと申しましょうか? それまでは、まー、四六時中忙しいわ、親戚は多いわ・・・で、盆正月になると、恒例行事的に、うさぎママと武久君が大喧嘩する・・・・「うさぎママ、うさぎを車に乗っけて家出を企てる・・・」 「お母さん、離婚しようかと思うけど、あんたお父さんいないとイヤ?」 的な会話がなされ・・・っていうねーーー・・・。 

 「シラネーょ! てか、子どものオイラから見ても、子ども抱えてママ働けるタイプ違うと思うねん・・・。思うけど、言えねーケド。」


 ここで、うさぎママから

「女は手に職!! なんつっても、手に職! 一生続けられる仕事がないと、いざって時に離婚できない!!」

が始ったのかと思われる

・・・・はい、ここまでがプロローグw

はじまりは豪族?はじまりは豪族?

松木武久農園は、長野県の北、飯綱山の麓、写真のような風景の地域にございます。真っ赤に色づいた「新世界」りんごの木の向こうに、ちょこっと見えている 「お山の山頂」 あれが、飯縄山でございます。麓まで登って近すぎるから、山も返って小さく見えます。

はじまりは豪族?はじまりは豪族?
店舗は、長野駅から車で20分程。 浅川ループ境に向かって頂いて(七曲ではありませぬ)、トンネル2つ超えて、一軒目の直売所です。

はじまりは豪族?
目印は、オレンジ色のこの看板です。大きな右カーヴを超えると見えてまいります。


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店舗内では、市内スーパーに卸すりんごを袋詰めしたり、贈答用のりんごをお詰め合わせしたり・・・しております。


はじまりは豪族?
こちらは、その名も 「がけ」って名前の畑です。畑は、標高300~800mの地域に10ヵ所くらいあります。

①上の原
②墓場
③古屋敷
④だいじごさん
⑤たっちゃん家の前
⑥がけ
⑦向け山
⑧吉池
⑨東の田
⑩東伺里
⑪西伺里
⑫塔の尾
*無農薬の木
_りんご畑は3町歩くらい?他に、田んぼ&そば畑もある。
 一ヶ所に広大な畑がどどーんとある訳ではなく、田んぼに向かない傾斜地の、坂の畑が多く、そこここに点在しております。


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委託ではなく、店舗はじめたのは、1999年(オリンピックの翌年?)今年で12?年目になります。
はじまりは豪族?
*建てて1年目は人に任せてたらしく…ママンに何度、カクニンしても、うろ覚えでicon10大工さんに支払った書類とかある筈で、それをママンがボケる前に入手予定でつface09






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この記事へのコメント
いつもブログを拝見させて頂いております。
ウサギ様は現在の耕作放棄地についてどのような考えを持っているのかお聞きしたいと思いコメントをさせて頂きました。
私の近所も耕作放棄地が増えつつあります。悲しいけど、かといって(自分のことで精一杯で)何もできません。ある評論家のブログで「耕作放棄地の解消は便利な重機などがあるからは簡単だ。」と書かれていました。私はこのコメントに怒りを感じました。一年に数回しか使わない重機、農機具は誰が買うのか?重機、農機具を借りるといってもどこで借りるのか?放棄地を解消した後何を作ればいいのか?と言った問題点が彼らには分かってないからです。一時的には解消するかもしれませんが継続できるのか?私は、貴方様を尊敬してます。本当に偉い。私もリンゴを作っていますが、最近の若い人は、リンゴをあまり食べなくなったように思います。先行きが心配です。
末筆になりましたが、うさぎ様の今後のご発展を心よりお祈りいたします。どうぞお体にはお気を付けください。今度もブログを拝見させて頂きたいと思います。
Posted by 長野県人 at 2011年11月22日 16:23
長野県人さま・・・いつもブログをご覧頂いているようでありがとうございます。さて、「耕作放棄地について?」とのコトですね。

うちの周りも、りんごの木がバンバン切られたり、田んぼが荒地になったり・・・そういう状況が哀しくて、何とかしたい!との思いで農業を継いだのもあります。ただ、現在の農業だけでは生計がなかなか難しい状況では、若い人達も入ってこないし、本当に難しい問題だと思います。

「耕作放棄地を所有だけしている地主に高い税金をかける」という案を提案してる方もいます。
 それはきっと、「農業を継ぎたい人達に農地を貸してくれる、売ってくれる地主さんが少ない」という問題を解決する為の一つだとは思います。うちも新規就農したい研修生を受け入れており、そういう人達が独立して農地を取得していく手続きなどを聞き及ぶに・・・非常に煩雑な手続きがあったり、地主さんとの交渉が大変だったりするようです。

「農業を実際にやっている高齢の親は手放したがっているが、子どもは反対。」とか、その逆もしかり。

 また、「中山間地農業には多大な人手がかかり効率的でないから、大規模化して収益性を上げたい」というような法人化で農業を変えていこうという人達にとっても、この問題は大きな障害になってるようです。

 「耕作放棄地」の問題の陰には、

「農家にとって土地は財産。先祖伝来の土地を軽々しく手放してはならない。その土地土地で、畑の環境が違い、日当たり・水はけ・水利権などによって条件が異なり、農家同士でも簡単にはトレードしがたい。」

という考えも染み付いてると思います。そういう「土地」に対する愛着こそが農業を支えてきた部分も大いにあるので、そういう考え全てが悪いとは思えませんが。 とにかく、土地というモノを「個人所有の物である」という考えから離れて、今後の農業を絶やさない為に、大きな視点で考えていく人達が増えなければ「耕作放棄地の増加」は変わらないと思います。

 いずれにしろ、土地の問題だけではなく、農業・食周りの流通状況・そうした全て変わらないと、農業人口は減る一方なので、5年後に日本人が国産の食糧を食べていられるか?さえ、危惧されるような状況だと思います。(現在の長野県の耕作放棄地は1225ha、日本全体では49,120ha) 長野県だけでも、松本市(978ha)よりも広い面積が耕作放棄地になってるようです。

「耕作放棄地の現状と課題」・関東農政局HPより・・・http://www.maff.go.jp/j/nousin/tikei/houkiti/pdf/tebiki01.pdf

参考になるかと思われる書籍をご紹介します。『土地と日本人』・司馬遼太郎対談集
内容をざっとご紹介してます・・・http://usaginouenn.naganoblog.jp/e516510.html
Posted by 松木農園松木農園 at 2011年11月27日 06:29
うさぎさん
こんにちは
とても情感豊かな文章力に感銘を受けました。ブログ内容をニコニコしながら読ませていただきました。
わずかですが私の家もリンゴ栽培してますので、うさぎさんのお考えにすっかり同調する次第です。
これからも頑張ってくださいね。応援しています。
Posted by gam at 2012年06月21日 13:16
gamさん・・・ブログをご覧頂きありがとうございます。ニコニコして頂けて幸いです。日本はなんだかんだいって、農業者が多いので、兼業農家・親戚に一軒農家がいる・・・そういう方自体はすっごく多いんですよね~。とくに信州では。

わずかとはいえ、栽培中のりんご絶やさずに、わずかだからこそ出来る手のかけ方をしてあげると木が喜ぶです。(えびす様が言ってましたw)

応援ありがたく受け取りました。今後とも宜しくお願い致します♪
Posted by 松木農園松木農園 at 2012年06月26日 09:35
 
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