2009年02月18日
兎になるまで(自己紹介)
りんご売りの兎です。 既に~りんご売りの少女~でご存知の方、初めての方、こんばんわ。
我が家はりんごを作って、51年目、兎が物心つく頃には、既にりんごは生活の糧であり、欠かせないものでした。
りんご作って大学院まで出してもらって、紆余曲折の果てに、りんご屋を継ぐことになって3年目。
去年から本気になりました。 以前から感じていた事を実行に移し始め、ナガブロを通して、たくさんの出逢いもありました。
農薬の恐ろしさ、土作りの大切さ、りんごの木への接し方、村の中での立場。 いろんなことを父の背中を見て学んできましたが、まだまだ若輩兎です。新しいことを始めるにあたり、今夜は、自己紹介を含め、なぜ?
「無農薬でりんごを作りたい!!」
と思うに至ったかをお話します。
兎は、32歳です。 高度経済成長期に生まれ、イケイケどんどんの時代に、我が家もりんごでだいぶ稼ぎました。
りんご御殿も建ったし、兎の教育費も貯金できました。 兎が大学に入り、親元を離れると、兎ママが直売所を始めました。
時代も変わり、JAや市場だけでは、価格が安定せずに、ママが頭をひねったのでしょう。
学生時代に実家に戻ると、兎ママがご機嫌でお小遣いをくれようとしました。
兎はびっくりです。 常日頃、金がない。あんたの学費が大変だと言っているママが?
理由は直売所が一年目に好評だったせいです。 それまで、仲買を通してしか、りんごを売ったことのない身からは想像もつかない額が、日々手元に入り、兎ママはびっくりしたようです。
使い方も知らないので、兎にくれようとしたのでしょうが、兎はびびりました。
そうは言っても、りんごの事です。 大学生のお小遣いに1万円くれる程度です。今ならばもらっとけば良かった!と思いますが、当時は状況もわからないし、貯金しといて!と返しておりました。
そんな中、兎は臨床心理士になる夢、破れて、長野に舞い戻ります。
する事もないので、直売所を担当しました。 そうこうするうちにおもしろくなって、頑張って営業したり、友人に贈ったりと、店番をしておりました。 当時は農業を継ぐ気はあまりなく、秋場のお小遣い稼ぎくらいの気持ちでした。
25歳も過ぎると、実家の給料だけでは食っていけないので、派遣OLをしたり、学生時代からの試飲販売バイトをしたりしながら、兼業で店番をしておりました。 当時も車の後ろに、~松木武久農園~と書いた紙を張って移動したりしてました。
店の営業に本気になると、兎ママと衝突します。 兎のやりたい店舗のイメージと違う動きをするママにきつくあたったり、結局は実権がないことにいらだったり・・・。 そして、恋です。 土日休みの方と付き合って、恋破れたのをきっかけに、自立を試みます。 実家を出て、派遣OLではなく、本当に自分に向いてる仕事をして独り立ちしようと奮闘しました。
兎のことを突き詰めると、OLは向いてないです。 土日も働くようなサービス業が向いてるようです。そこで、ホテルに職種を絞って働き始めました。 始めは契約社員だったので、時間もまちまちで稼ぎも食っていくには足りないです。
自立を焦っていた、兎は夜の世界に飛び込みました。 ちょうど祖父の死と重なり、我が家もいろんな事が動いていた時期でした。 サービス業を極めるなら、一度はやっとかないと!!と27歳にして夜の蝶となりました。
ホテルの宴会が終わり、そのまま、権堂の蝶となる日々を続けるうちに、体調を崩して、夜一本に絞りました。
お金が良かったのもありますが、おもしろくなってしまいまして。 自分の看板を背負って出来る仕事のおもしろみを知ったのです。 実力次第ですが、自分のキャラは生かせるし、いろんな職種の方とつながれる事が楽しかったです。
そんな中、またもや恋、破れて、実家に舞い戻りました。 全く、破れてばかりです。
その方との結婚を考えて、夜から昼の仕事に切り替えている最中でした。
そして、現在に至ります。
「西原理恵子」➡自然農法 http://usaginouenn.naganoblog.jp/e213513.html
我が家はりんごを作って、51年目、兎が物心つく頃には、既にりんごは生活の糧であり、欠かせないものでした。
りんご作って大学院まで出してもらって、紆余曲折の果てに、りんご屋を継ぐことになって3年目。
去年から本気になりました。 以前から感じていた事を実行に移し始め、ナガブロを通して、たくさんの出逢いもありました。
農薬の恐ろしさ、土作りの大切さ、りんごの木への接し方、村の中での立場。 いろんなことを父の背中を見て学んできましたが、まだまだ若輩兎です。新しいことを始めるにあたり、今夜は、自己紹介を含め、なぜ?
「無農薬でりんごを作りたい!!」
と思うに至ったかをお話します。
兎は、32歳です。 高度経済成長期に生まれ、イケイケどんどんの時代に、我が家もりんごでだいぶ稼ぎました。
りんご御殿も建ったし、兎の教育費も貯金できました。 兎が大学に入り、親元を離れると、兎ママが直売所を始めました。
時代も変わり、JAや市場だけでは、価格が安定せずに、ママが頭をひねったのでしょう。
学生時代に実家に戻ると、兎ママがご機嫌でお小遣いをくれようとしました。
兎はびっくりです。 常日頃、金がない。あんたの学費が大変だと言っているママが?
理由は直売所が一年目に好評だったせいです。 それまで、仲買を通してしか、りんごを売ったことのない身からは想像もつかない額が、日々手元に入り、兎ママはびっくりしたようです。
使い方も知らないので、兎にくれようとしたのでしょうが、兎はびびりました。
そうは言っても、りんごの事です。 大学生のお小遣いに1万円くれる程度です。今ならばもらっとけば良かった!と思いますが、当時は状況もわからないし、貯金しといて!と返しておりました。
そんな中、兎は臨床心理士になる夢、破れて、長野に舞い戻ります。
する事もないので、直売所を担当しました。 そうこうするうちにおもしろくなって、頑張って営業したり、友人に贈ったりと、店番をしておりました。 当時は農業を継ぐ気はあまりなく、秋場のお小遣い稼ぎくらいの気持ちでした。
25歳も過ぎると、実家の給料だけでは食っていけないので、派遣OLをしたり、学生時代からの試飲販売バイトをしたりしながら、兼業で店番をしておりました。 当時も車の後ろに、~松木武久農園~と書いた紙を張って移動したりしてました。
店の営業に本気になると、兎ママと衝突します。 兎のやりたい店舗のイメージと違う動きをするママにきつくあたったり、結局は実権がないことにいらだったり・・・。 そして、恋です。 土日休みの方と付き合って、恋破れたのをきっかけに、自立を試みます。 実家を出て、派遣OLではなく、本当に自分に向いてる仕事をして独り立ちしようと奮闘しました。
兎のことを突き詰めると、OLは向いてないです。 土日も働くようなサービス業が向いてるようです。そこで、ホテルに職種を絞って働き始めました。 始めは契約社員だったので、時間もまちまちで稼ぎも食っていくには足りないです。
自立を焦っていた、兎は夜の世界に飛び込みました。 ちょうど祖父の死と重なり、我が家もいろんな事が動いていた時期でした。 サービス業を極めるなら、一度はやっとかないと!!と27歳にして夜の蝶となりました。
ホテルの宴会が終わり、そのまま、権堂の蝶となる日々を続けるうちに、体調を崩して、夜一本に絞りました。
お金が良かったのもありますが、おもしろくなってしまいまして。 自分の看板を背負って出来る仕事のおもしろみを知ったのです。 実力次第ですが、自分のキャラは生かせるし、いろんな職種の方とつながれる事が楽しかったです。
そんな中、またもや恋、破れて、実家に舞い戻りました。 全く、破れてばかりです。
その方との結婚を考えて、夜から昼の仕事に切り替えている最中でした。
そして、現在に至ります。
「西原理恵子」➡自然農法 http://usaginouenn.naganoblog.jp/e213513.html
Posted by 松木うさぎ at 20:14│Comments(0)
│信州を農業から元気にする会